ツイートしたら質問を頂いたので答えましょう! 自分の評価をどう定めるか?

 日付的には昨日、ネット上でよく見かけるレンズレビューについてツイートしたところから始まりました。
 で、それに続くツイートが以下。

唐突に今日撮ったスナップ写真。

 最初、私の中では両方ともレンズレビューについてのものだったんです。
 『レビュー』と称して、レンズの欠点を論うのは簡単なんだけど、逆に「このレンズのここが素晴らしい」っていう角度から、このレンズは何を撮ると良い感じになるよ、みたいな面について言及出来る人って極端に少ないでしょ。

 本当はTwitterで私が勝手にMakro-Planar(Carl Zeissのマクロレンズの総称)仲間と思っている方がいらして、その方が「水! 水が撮りたくなる!」っていうような事を書かれておったんですが、レンズってそういう風に、「これを撮ると最高」みたいのが結構あります。

 それって定量的とはいえないレビューですよね。
 でも今の時代、カタログスペック的な部分はいつだって情報が開示されていて誰でもアクセスできるんですよ。大事なのはそこじゃないですよね。カタログスペックじゃ写真は撮れないですから。レビューで本当に欲しいのは「何を撮ると最高に良いのか」です。

 私もMakro-PlanarというかPlanar属のレンズはすべて水ものを撮ると最高に良いといつも思っています。そういうのは誰に教わるものでもありませんよね。だからこそレビューとして有効なんです本当は。


 というような事を書いたつもりだったんですが、人によっては写真の添削と絡めて受け取られたようです。もちろん受け取り方は自由なのでOK。私もがっちりと主語を書いたわけではありませんものね。



 で、野良猫愛好家さんというTwitter友達の方から質問を頂きました。↑

 いくつかツイートを連ねられたんですが、要は 写真を撮る上で何が良いのか、何が悪いのか、美意識をどう育くめば良いのか、そういった指針が欲しい! という事ですよね多分。

 えー、スパッと一言で返すなら「自分の評価は自分で決めるしかない」なんですが、もうちょっと親切にやりましょうか。



1.自分がどれくらいのところにいるのか?

自分がどれくらいのところにいるのか、判断してもらいたくなる気持ちは分かります。
 でも例えば私の場合、誰かに聞いたことはありません。

 だって自分の周りの人間が褒めてくれたって何の足しにもならないでしょ。
 お父さんが「お前はプリンセスだよ、世界で一番可愛いよ」って娘を褒めて育てたって、ほとんどの娘はそれを100%信じ切ったりしません。そういう無条件の愛情を注いでもらう事は幸せですが、社会とお父さんの評価の差が大きいのをいつかは学びます。学ばなきゃやばいでしょ。

 それと同じで、身内がいくら褒めてくれたって、それで飯が食えるわけじゃない、それで誰かが感動するかっていうと話は別です。だから周りの人間の評価は聞いてもあんまり意味がありません。よほど鋭い目をした人が幸運にも身近にいれば別ですけどね。

 自分の敵は常に自分です。だから逆に、私もYoutubeをやる前は、そりゃプロでやっているくらいなので人を不愉快にするレベルの写真を撮っていたとは思っておりませんでしたが、かといって自分が超絶にうまいとも思わず、でも冷静に「こんなもんだろう」という自覚を持って撮っておりましたよ。

 そういうのは誰かに聞いて採点してもらったわけではなく、驕らないように、しかし自分を低く見積もりすぎないように冷徹に判断しています。それが合っているかどうかは別として、とにかく判断しようとするのが大事。だって自分がどこを基準にするかは自分しか知らないでしょ。町内会クラスなのか、ワールドクラスなのか。それによって判断が変わってきちゃいますからね。

 今だって、撮った写真をいちいち誰かに見せて「どう? どう? 点数つけて」って評価してもらうわけではありません。自信があれば「ええやろ」って友達に見せるんだけど、意外と反応が薄くて寂しかったりね。そういうこともよくありますよ。

 ファンと言ってくれる人は現れておりますが、作品を世の中に出す前に「どうです?」って見せて感想を聞くわけにはいかないでしょ。だから自分がどうなのか、自分の写真がどうなのかは、まず真っ先に自分で決めるしかないんです。しんどいんだけど、しゃあない。お互い諦めましょう。



2.美意識を育む→良し悪しを判断する能力を身につけるには?

自分の写真がどんなもんなのかの評価は、自惚れと自己嫌悪の間をゆらゆら行き来します

 世の中、恥ずかしい人も多いですよね。
 お前それどうすんだよ、何なんだよっていう写真を自信たっぷり、物凄いものであるかのように口上をくっつけて見せて「素晴らしい作品です!」って言い張る人もいます。でもそれも自由。むしろ堂々としているところは見習うべきかもしれないし、私にとって「うわぁ」って思う部分は、他の人にとってまったく問題ではなくって、もっと大事な評価すべき要素を世界中で私だけが見逃してしまっているのかもしれません。

 そう考えると、自分の写真の良し悪し、人前に出して良いものなのかどうか、一連の作品の中に入れて良いものかどうか、判断するのはやっぱり自分です。仕事ならお客さんなりが判断してくれますが、それだってその場で「ダメだこりゃ! クビ!」なんてなることはそうそうないですよ。単に次の発注が来ないだけです。

 もちろん人に見せて評価をもらう、たとえば私も音楽をやっていた時代に撮ってくれていたお友達がおりまして、その方には節目ごとに写真を見てもらって率直な意見をもらう、そういった事もあります。
 美術が分かる方から「これが気になる、ここがダメ」っていう意見をもらうのって本当に役に立ちますよ。

 でもそれを受け容れるかどうか、受け入れられるかどうかは本人次第ですよね。
 あとほら、そもそも自分がそのアドバイザーを信用できるかどうかを判断しなければなりません。そこも結局、自分の判断です。素直さは大事ですが、同時になんでも聞きゃ良いかっていうと、それも違いますからね。



3.教育と自助努力の関係

ちゃんとした美術教育を受けている人に話を聞くと、どうも現在の美術界が到達した地点においての美の基準、これは判断基準と言い換えても良いんでしょう、そういう意味においては「これが正しい」というのは教えてもらえるようです。
 あともちろん、技術的なことも専門に応じてみっちり教えてもらいますよね。

 ただ、自分が作品を作って出す時、またそれが出来上がった時に「どう」なのかは、誰も判断してくれないですよ。

 私も添削をする時に、技術的な側面から「こうした方がより多数に受け入れられやすい」ということは言えますし、たとえば「このフォトコンに応募するなら、テーマは社会悪の追求よりも家族愛にした方がウケるんじゃないの」くらいまでは言えるかもしれませんが、その人の美についての判断基準にまでは言及しようがないかなあ。

 結局写真を学習するのって、私からすると「何がその人にとって撮るべき、残すべき、広めるべき価値のある美しいものなのか」を探求する旅なんですよ。そこを一番楽しんで欲しいんですよね。一番苦しくもあるんですけども。

 趣味でやっていて、明確なゴールがないからこそ、そういう求道的な形でやってみるのも面白いんじゃないのかなぁ、というのがおっさん写真道の「道」の部分です。明確なゴール、たとえばこのフォトコンに勝ちたいとかっていうのは、もっとコンクールに勝つためのピアノの弾き方を教えてくれる講師みたいな人のところを訪ねた方が話が早いですよ。芸術の本質はそこにはないと思いますけどね。

 わたくし口が悪いので筆も悪くって申し訳ないんですが、「撮っているだけの人」って沢山いるでしょ。撮るだけ、押すだけ。被写体任せ。絶景、美人。あとは犬猫子供。

 そういうのを撮るのは否定しないし、イージーにウケたい気持ちも分かるんです。
 でもね、もう大量に写真を見てしまうと、そういうのはどうでも良くなるんですよ。撮っている人の人間性が見たいし、逆に撮っている側は撮るお前が何者なんだ? って問われるようになってくるんです。そうなるべきかどうかはよく分からないですが、全員がその場において一定のスキルと感性を持っていると証明された後は、そういったフェーズに入っていくのは間違いありません。

 人を感動させる写真が撮りたいんだ、っていう心意気や良し、と思うんですが、撮るあなた自身は一体どういう人間なのか? 何を大切にしていて何がどうでも良いのか、みたいな部分から見つめながら暮らして、同時に撮っていくのが一番大切なんじゃないかなと。そういう過程において、取捨選択するような形で美しいものを探していくような感じがええんではないかな、という風に思います。

 撮るか撮らないか、みたいな部分からしてすでに取捨選択は始まっているわけですからね。写真を撮るという行為のあらゆる部分で選択を迫られるでしょ。それの一つ一つが自分の理想の形に迫る行為だと思ってください。

 そうやって普段から考えていれば、ものの見方が変わるでしょ。あれこれ積極的に絵とか彫刻なんかも見るようになるでしょうし、自然現象の見方も変わると思います。


4.無理やりまとめ

そういった次第でして、いつも通りストレートに答えられているかど聞かれると甚だ自信がないんですが、私も探り探りですよ。つい最近、ようやく「ああ、俺どうも一定の水準で撮れるようになったかも」って思いましたよ。だから写真を撮る労働にプラスして撮った写真を作品として売る気になったんです。

 写真を10年以上撮っていてやっとですよ! それでもまだ悩むというか迷うんですよ。当たり前の事なんです。

 つまり撮り始めて1年半なんて、まだまだ狂ったように撮りまくっていれば良い時期だと思いますよ! あーだこーだ、めんどくさい部分は後からついてきます。

 ということで、回答になっていないかもしれませんが、思うことをつらつらと書いてみました。ブログって長文が書きやすくて良いですね。またこういう話もしたいと思います。

 ではまた!