写真を撮る人の見る側としての成長について

 どうも。

最近

最近、仕事以外で作品を撮らないとなーと思っているんですよ。
 現在どうやって生活しているかっていうと、ほぼ100%がカメラマン稼業、つまり「こういうの撮って」というお客さんの要望に応じて「分かりました」つってそういう写真を撮って納める仕事であります。

 で、写真で食う上でカメラマンとフォトグラファーって微妙に扱いが違って、フォトグラファーっていうのはカメラマン的な時間労働による収入以外に、著作権で収入がある人のことを指す(場合が多い)んであります。これ人によっては、すべてフォトグラファー! すべてカメラマン! って言い張る人もいたりするし、それも自由だからアレなんですけどね。例外は色々ありますし。

 さらに写真家っていった場合は、自分の作品を発表して、それで生活の糧を得ている人です。それで食えていないと逮捕された時に自称写真家扱いになります。つまり職業ではないと。

 逆にいえば職業かどうかでは判断しないよ、という場であれば、「撮ったら即写真家」もOKです。その辺りは自由ですからね。私自身は「カメラマンやってます」としか言わないのでノータッチ。

 ということでですね、最近は写真家フィールドにも仕事の領域を広げたいなと思っているんです。プリント売ってますよ、そういえば! ブログで告知するの、すっかり忘れてましたわ。

http://vantherra.com/portfolio/shop/

 部屋に飾って眺めているとなぜか写真が上手くなる、そんなプリントが揃っています。

 いやね、自分のキャラを売っているんだったら、つまりタレント写真家的な事がしたいんだったらショップをもっと懸命に宣伝しなければならないんですが、私あんまりそういうのには興味ないんですよね。

 なんでかっていうと、現在Youubeで動画をアップしたりしているのは、写真を撮る仲間たちに向けてなんであります。どう見てもそうですよね。

 でも、写真家として写真を撮る場合は対象が写真を見る人ですよね。つまり写真ファン。ここでガーンと大きな問題が出てくるんであります。

撮る側と見る側

 現在運営しているのは写真を撮る人が見る専用みたいにな内容のYoutubeチャンネルなので、そら撮る人が見てくれております。いま登録してくれている方が11242人だって。すごいねぇ。

 ただアレなんすよ、それは写真を撮る人たちであって、必ずしも写真を見るのが好きな人達ではないんです。

 まず前提として、写真家やるなら写真を売って生活が出来る(最低限生活の一部、といえるくらいの収入になる)ようにならなきゃなりません。だから写真のプリントなり写真集を売らなきゃなりませんと。それにはそれを買う人が必要ですよね。

 ところが前述のとおり、私の動画を見てくれている皆さんは写真を撮る側の人達であり、写真を撮る人は必ずしも写真を見る人ではありません。カメラオタクと写真好きがちょっと違うみたいな現象がここでも起きるんです。

↑こんな感じ。

 撮るのも見るのも両方好きっていう人も一部にはいますが、完全に重なる事はありません。

見る力


 写真て面白いもので、カメラさえ持てばとりあえずインスタントに撮れるもんですから、「撮れるよ」って自称できるまでの期間は短いんですよね。それはそれで事実。嘘じゃありません。

 でも本当に「写真を撮る」上で大事なのは、シャッターボタンを押せるかどうかではなく、見る能力が備わっているかどうかなんです。それが撮る能力に大きく関わってきます。


スナップも「おっ」て面白いもんを見つける力が大事。
 本当は日本に1000万人くらい写真ファンがいて、どんどんプリントを買ってくれたらそんな嬉しいことはないんですが、それは言っても始まらない事だし、私自身、撮る人を対象にあれこれ啓発っていうんでしょうか、もっと面白い領域があるんだぜーってやっているので、今日は撮る人たちを対象に「見る」ことについてお話します。

押すだけ写真

 また要らんところで敵を増やすかもしれませんが、Twitterだろうが一般のウェブ世界だろうが、ただシャッターボタンを押しているだけの人の写真っていうのは1秒しないで分かります。もし1枚見る間は取り繕えたとしても5枚は取り繕えません。つまり組写真にしちゃえばすぐバレます。

 誰だって「俺はシャッターボタンを押しているだけじゃない。写真を撮っているんだ」って思うんですよ。自分は特別だと思いたい。私もそうです。

 でも写真に込められる情報量が、撮れる人と撮れない人では段違いなんです。撮れる人と撮れない人っていうのは、偶然に頼る人と自分の力で引き寄せられる人と言い換えても良いかもしれません。

 被写体があって光があって手元に良い感じのカメラとレンズがあって写真を撮りますと。

 その際に、自分が被写体を見てどう感じたかを、具体的に伝わるように写真に埋め込めているかどうかなんです。それは光の扱いであったり、カメラの扱いであったり、カメラを持つ身のこなしであったり、もっといえば被写体のコントロールであったり、最終的な切り取り方であったり切り取るタイミングであったりします。

 さらに家に帰ってセレクトする際、どれを使うか? そもそもその一連のショットの中から使う写真をピックアップするかどうか? 使用に耐えると思ってピックアップしたなら、それにどういう処理を施すのか。

 そういったあれこれのトータルで「写真にして」初めて意味を持ってくるんです。手間をかければ良いってものじゃありませんよ。写真を見る人に対して、「私はこの場にいて、これを見て、こう感じて、こういう手段を使ってこういう後処理をして写真として定着しました」っていうプロセスと判断がきちんと記録されているか、伝わるように整理されているか、ってことなんです。

 そのプロセスがないもの、見えるレベルでやっていないものは「押してるだけ」。

 絵画で考えてもらうと分かると思うんですが、偶然画家の手がキャンバスの上でのたうち回って素晴らしい作品が生まれますか? っていう話ですね。エスカルゴとか豚に絵を描かせる話もありますが、あれは飛び道具なのでノーカンですからね。

 石が風雪にさらされて、偶然ものすごく具象的な彫刻を作り上げるか? っていうと、んなこたぁないわけで、偶然撮れちゃった系の素晴らしい写真の存在価値ももちろん認めますが、それをして「私の作品です(=これが私の観察の結果であり、技術の集約です)」って言われても「あーそう」としか言いようがありません。

 だから1枚は運で撮れちゃったものでごまかせたとしても、そうそうそんなラッキーは続かないのでバレます。

 どうせやるなら、そして自分がアイディア一発勝負で世界を切り拓いて行けるような天才でないと知っているなら、自分で写真にするすべを学びません? というのがYoutubeでもやっている、皆さんに対する私のアプローチです。私も単なる写真を撮るのが好きな人間で、アマチュア魂のまま今でも撮っていますからね。

見る。

 さて、押すだけじゃ写真になんないよというお話をしたんですが、じゃあどうすれば自分で写真を作る事ができるんだ? ですよね。これ解決策は、風景写真みたいに自分が何も手を加えられない写真であっても一緒なんですよ。

 見ること。

 自分の写真を見ること。他人の写真を見ること。

 被写体が何であろうと、そこに何かしら写っているということは嫌でもどこかで切らなきゃならなかったり、背景の中に配置しなきゃならないでしょ。またレンズは勝手にボケを作っちゃったりと、写真である以上、写真的な表現から離れられません。

 それって裏返すと、その構図やボケやなんかの写真的な要素の組み合わせで、自分の肉眼で見たものを見る人に翻訳して伝えるのが写真を撮るっていう行為なんです。押して撮れちゃうのと比べると作為のレベルが桁違いなんです。

 この構図のラインの取り込み方をすることで、見る人にしゅっとした感じを伝えたいな、だとか、テクスチャーのざらざらを伝えるためにこういう光を使おうとか、色々あるでしょ色々。なきゃダメですよもちろん。ないということは被写体を観察できていない、観察する分解能が低いってことですから。それはつまり見る能力がまだ鍛えられていないということ。

 そこをショートカットで鍛えさせてもらうために、他の人が過去に撮ったものを見て、「は~なるほど、こんな風にグラデーションを作る表現もあるのか」ってな風に勉強させてもらうんです。引き出しを増やすのも見て勉強する以外にありませんからね。

 で、最初はそういった表層的なところからスタートして、だんだん細かいところや、それらの組み合わせで写真に埋め込まれた作者側の意図を読み取れるようになって行くんです。実は他の勉強と一緒ですよ。「文字が読める」ことと「文章が読める」ことはぜんぜんレベルが違うでしょ。情報量がぜんぜん違うんです。

ある意味では写真に偶然はありません。ぜんぶ撮った人の意図。


見る能力を育てる

 わたし普段、プロだから偉い偉くないとか、そういう序列を付けるような事は一切言わないと思います。これは言わないようにしているんではなく、本当に偉いとも偉くないとも思わないから。みんな真面目にやる人であるかぎりは写真を志す仲間です。

 でも、その中でも写真を見る能力がある人は間違いなく偉いです。逆に読み取れない人はもっと頑張ってくださいと思います。それで何十年も同じようなところをぐるぐるしている人には、何やってんの? と思います。

 それって、写真を見る能力がある人っていうのは、撮る人が何を意図して撮ったか、何を大事にしているのかを読み取ろうとする人だからですよ。

 もちろん人によって感度の高い低いはあると思いますが、撮る人であるにも関わらず、他人が撮った写真から他人が考えていることを読み取ろうとしたことがない人ってダメでしょ。これは表現として良いか分からないですが、少なくとも私はダメだと思いますよ。読み取れない、じゃなくて読み取ろうとしない人ね。

 そこはさすがにちょっと恥じた方が良いんではないかなと。野球をやります、って言いながら、人の球をキャッチしないでひたすら投げるだけなんですよ。バッティングセンターならぬピッチングセンターみたいになっている人が本当に多いんです。

 むしろ写真の場合、自分の手で先駆者のやった事を真似しながら読み取る能力を鍛える事ができるので見る能力を鍛えるのも早い筈なんですよ。お得だと思いますよ。写経みたいなもん……と思ったけど写経はぜんぜん違いますね。

 写真であっても見る能力を鍛えると、彫刻であったり版画、絵画で名作って言われているものを見た時に「なるほど名作だわ」って感心しちゃえたりするんです。良いでしょ。美術館に行くのが楽しくなりますよ。これも普段からよく言っていることですが、今日はもう一歩踏み込みます。撮る人間の誠意として、他の人の写真を読み取る努力をしましょう。

 その結果、「えっ、かわいい子が写ってるだけじゃん」って見えるとしたら、それはそれで正解です。本当にそれだけの写真も沢山ありますから。

見る人に伝える

 写真を撮っている限り、対象は見る人です。

 誰に見せるか、誰を喜ばせたいかっていうのは、個人が好きに設定すればOKです。自分だけが喜べば良いっていう場合もあるでしょうし、コンテストで勝ちたいっていう場合もあるでしょう。それは個人が設定するものなのでなんでもOKですわ。

 自分以外の誰かが見た時に、自分の意図して織り込んだ情報が伝わるかどうか? これはもう相手の読み取る能力によりますよね。でも写真に限らず、見るだけの人の方が鋭かったりするんですよ。

 私の写真添削、伴さんエスパーですか!? って驚かれたりしますが、添削の範囲だと技術的なところに限っているので、その人の作家性だとか人間性については言及しておりません。写真家をやると逆に、技術的なところがどうでも良くなってその人が作品を通じて他人に伝えたい部分が俎上に載せられることになります。だからボケとかはどうでも良いの。

 ざーっとですけど、
  • カメラ的にどうか?
    • ボケがどうとかブレがどうとか
    • 色調がどうだ後処理がどうだこうだ
  • 構図としてどうか
    • 配置、配色
  • 被写体がどうか
    • 被写体の状態
    • そもそもの被写体の選別
    • 撮っているタイミング
 簡単に目につくだけでも、撮る側からするとこういう要素がバーっと目につきますけど、写真を見るだけの人にとっては上の方に行けばいくほどどうでも良い部分になっていくでしょ。ボケているから良い写真なわけないじゃないですか。適切に、自分が表現したい意図に沿った被写界深度になっているかが重要なわけで。

 で、写真としてはそういったツールを使える限りガンガン使って、自分が伝えたい情報を埋め込みます。読み取れる人は、写真を撮る人でなくっても読み取っちゃいます。恐いですよ。むしろ撮る技術を鍛えるほど、自分の病気の部分がモロに出る気すらします。

無理やりまとめ

 というわけで、そもそも見る人に見せるために写真を撮っている筈なのになんでお前は自分の写真も他人の写真も見ないんだ問題についてはこれまで色んな写真を見てきてず~っと頭に引っかかっておったといいますか、そここそが上達を妨げている、視野を広げるのを妨害していると思って今日までやってまいりました。

 またTwitterを見ていますと、やっぱり話がボケだとか肌のレタッチだとか、そういう最初の方にサッとクリアすべき子葉の部分についてばっかりで終始しちゃうんですよね。それがつまんなくってさーというわたし個人のアレもあります。

 写真の面白いところは、もちろんボケなんかの機械の部分もあるんですが、最終的には人間です人間。

 お互いにどういう人間なのか、何を考えて生きているのかが織り込める、読み取れる、そういったコミュニケーションのツール、というかコミュニケーションそのものなんですよ。

 ある意味では、モデルさんには申し訳ないんだけど、被写体は自分の伝えたいことを仮託するものでしかありません。これは記録写真を撮っていてすらそう思います。写真のモデルというものを真面目に考えているモデルさんは理解できる筈。

 というわけで、人それぞれ色んな楽しみ方で取り組むのが多様性にも繋がるので素晴らしいと思うんですが、写真を撮る側の個人のためにも、それから皆でより面白いことをやるためにも、日本人写真愛好家の見るレベルをぐっと持ち上げる事が必要不可欠であると思っとりますので、皆さん達人の写真を見て、また美術館に出かけて名画からどんどん絵作り、表現を吸収しまくりましょう。何を見ても必ず勉強になります。

 あと私の写真もでかいプリントで見てもらうと、細部をちまちま拾い集め、それを集合として一つの絵に押し込めて良い感じのバランスで成立させているのがまざまざと感じられます。そのバランスを感じて欲しいんです。そういうセレクトにしてあります。部屋に飾って眺めて情報を拾い取ってください。
そういえばこんな写真もありました。

 整合性の高い、論理的な美しさのある写真であなたの生活がなぜか豊かに! コンクリートを撮っているがそれはコンクリートの写真じゃない! っていう世界です。現実世界の話をするとA3サイズの3万円って高く思えるけど原価率がけっこう高いんだよ!

 というわけで、また。