カメラマンは下手をすると「カメラを持ったアルバイト」になっちゃうんです

 今日は撮影も後処理もないのでアウトプットの日!

 ということでブログを書きます!

 いえね、朝っぱらから初心者カメラ講座の第3回、録りは終わっているので編集をせねば、とパソコンに向かっておるのですが、ふと思ったことがあるのでブログにいたしましょ。

 何の話題かといいますと、カメラマンって低い領域の仕事ほど盗まれやすいんですよね。

仕事を盗む?

フリーランスとして活動しているカメラマン、機材は自前、仕事も自分でもらいにいかないといけません。
 やったー取材撮影の仕事がもらえたぞ! って喜び勇んで現場に行って、たとえば簡単な取材撮影で、食い物をクリップオンのストロボで撮ったりするでしょ。

例えばこういうの。たしかにある意味誰でも撮れます。

 すると、同行している代理店だのの社員が熱心に設定を聞いてくるわけですよ。絞りがどうの、ライトはああするこうするって根掘り葉掘り。ここで勘の良い人は気づくんですが、お仕事に飢えているカメラマンはお客さんに嫌われたくなくってどんどん答えてしまいます。

 結果どうなるかというと、そこの代理店なりの社員が同じようなカメラ、照明あれこれを一式買い込んで、自分で撮るようになったりするんですね。もちろんカメラマンは二度と呼ばれません。

 しかもその社員本人は別に写真がやりたいわけじゃなくって、上司からの業務命令だったりします。
 当然人件費が『営業+ディレクション+撮影』まで一人でまかなえるようになるので上司は大喜び。浮いたお金で社長のベンツのグレードが一つ上がろうってなもんです。社員の給料は据え置きですね、もちろん。

 これは社員もカメラマンもアホです。ただこれ、貧しい時代なのでよくある事なんですよ。

泥棒商売

 ある程度のところまでは、iPhoneで撮れちゃう時代なので、社員さんなりが撮っちゃうのも全然OKなんですよ。

 たとえば道案内の写真だったり、ほんと簡単な写真であれば代理店の社員さんが自分で撮った写真を使ったりするの、よくありますよね。そこに文句を言うつもりはないんですわ。それは技術を盗んで撮っているわけじゃありませんから。

 何がまずいかというと、情報を盗むために=今後カメラマンに仕事を回さないで済むように撮影に呼ぶ場合です。これはもう泥棒というか、居直り強盗みたいなもんですわな。ルール的にはNGではありませんが倫理的にNGです。こちらからすれば気分が良いわけがない。

 カメラマン同士だったら結構アリなんですよね。もちろん仲の良い人同士に限られるんですが、仲間意識が持てる人間であれば情報の融通は互いにあるでしょうし、カメラマン全体のためにもなるでしょう。発展性があればOKなんですよ、要は。

 もちろん情報と技術で食っているにもかかわらずその重要性が理解できないフリーランスというのもいます。学生脳とか会社員脳の人。実は社カメといわれる会社員でカメラマンをやっている人とフリーランスのカメラマンってそういう立場からまったく振る舞いが違ったりするんですが、その話はまた別の機会に。

 私も以前、女性カメラマンでプリンセスのように「与えてもらって当たり前」で自分から一切価値のあるものを出せない人がいたので、お付き合いをやめた人がいます。利害に鈍い人には向かないんすよ、フリーランスって。これが会社員からするとフリーランスがカネカネ言ってるように見えるところなんですが。

 情報とか技術の重要性が分からない人ほど、とにかく低単価の仕事で体が壊れるまでやるしかなくなり、上記のような乞食商売に走る会社へ情報を簡単に渡してしまったりします。

 そうなると、カメラマンの「カメラを持った単純労働者化」がどんどん進行します。

フィルムの昔から

 実はフィルム時代の昔から、そういう人は沢山おったんですわ。

 写真が下手なプロカメラマンっていうのが食えた理由はそこです。美しい写真を撮ってもらう技術分の上積みはないんだけど、最低限失敗しないで撮ってもらう分の技術料+人足代っていう形。それでも現代の誰でもカメラマン時代のギャラと比べると、景気が良かったのもあって破格ですけどね。

 今はカメラが撮らせてくれちゃう(と要求水準の低いクライアントほど思っちゃう)ので、簡単な仕事は単なる人足代+カメラ持ち込み分だけちょこっと上乗せっていう形にシフトしてきています。

 上記のような、技術を悪い意味で盗んで社員に撮らせれば良いじゃんっていうのは、カメラマンの仕事がナメられているからでもあるんですよね。そこはまあ突っ込んだところで、昔から目が悪い人というのは沢山いますし、必ずしもすべての写真が美しくなければならないということはないので、私も文句をつける気はありません。

 そういう人もおる、時代は変わった、という範囲のことだと思います。

何を学ぶべきか

 愚痴っても始まらないんです。

 そのうちカメラにAIが搭載されて、「当たり前の単にきれいな写真」っていうのはカメラが撮ってくれるようになります。
 写真をやっている人間はあーだこーだと細かいことを気にしますが、低単価であればあるほど、仕事で使う写真の方が単純だったりしますから、「被写体がきちんと写っている+露出・色が正しい」だけで喜ばれるような写真は目標として達成されやすいでしょう。

こういうの。実際に取材でお手軽カンタンに撮った写真です。
こういうのは最低限のライティングさえ覚えちゃえば真っ先にAIの餌食でしょう。


 カメラマンを続けたいと思ったら、そういうイージーなところはさっさと「どうぞ私より給料の安い人が自分で撮ってくださいね」って明け渡し=撤退して、カメラが撮ってくれないところ、つまりもっと難しいところに入り込んで行かないと食えなくなっていきます。

 何を学んで仕事がなくならないようにするかっていうと、答えは人それぞれだと思います。
 私は私で回答を持っています。それを考えるのも仕事のうち。でも考えていない人は、よほど実家がお金持ちとかでない限り、早晩食い詰めることになると思います。かくいう私も戦略が当たるかどうか分からないですから、いつ廃業するか分かったもんじゃありませんよ。

 とりあえず駆け出しのプロにとってヒントになるのは、よく「上手いアマチュアの方が下手なプロより良い写真を撮る場合がある」って言うじゃないですか。そこにヒントがあると思います。言い換えると環境を選べるのがアマ。選べないのがプロですよね。まずはそこで鍛えられてみましょうと。

 イージーな環境ほど深く考えなくてもカメラさんが撮ってくれちゃうので、仕事としては成立しなくなっていきますよね。あとは期待されない撮影ほど仕事にならないのは今も変わらないので、そこをターゲットにするとまずいでしょう。
 よく見ますよね、プロです、って写真をネットにアップしていて、ちょっと厳しい環境になると途端に露出だの構図だの、そういう基礎的な部分まで崩れる人。お芸術写真やアマチュアと違って、プロはそういうところが問われます。だから面白いんです。

まあ

 偉そうな事を書いていますが、私だってまだまだ修行中の身です。

 正直なところ、自分の感性と現代日本のそこらへんでよく見かける広告写真の感性のあまりの違いに、俺はこの国でやっていけないんじゃ……と思う事すらあるんですよ。あれは写真の感性が違うというより、広告としてそういう感性の写真を使いたい、と思う現代日本のアートディレクターと合わないっていう事なんです。だから営業をかける先がいまいち見つからなくて困っちゃったりしています。

 プロフェッショナルに徹するのだったら、いまそこらにある感性に合わせて「こんな風にも出来ますよ」っていうアピールをするんでしょうし、実際そうやって自分の個性とはぜんぜん違うんだけどちょっと単価の良い仕事をそこで得ようと努力している人も沢山いるんでしょうが、それをやるくらいなら教える方向の方が楽しいよねーつって現状があります。

 とりあえずありがたいことに食うには困らないですし、Youtubeなんかをやりながら、自分が写真に対して考える事を世の中に発信する機会はITインフラのおかげで与えられているわけですよ。

 それって一昔前と比べたら夢のような状況ですし、仲間探しをイチから自分で出来ると思うと、そう悪くねえなと思うんです。

 一昔前は、有力な誰かに取り上げてもらうことでしか世の中に自分を知ってもらう(自分のテイストを提示して理解してくれる人を探す)機会がなかったですが、今は何がしかの権威様に認めてもらうっていうイニシエーションを経ることなく、勝手に発信ができて、受け取る人は勝手に受け取ることができます。そのあたり最高。

というわけで

 今日の話は、簡単な仕事ほどあらゆる理由でなくなっていくので、これから撮るのを仕事にしたい、仕事として継続したいと思うのなら競争に勝てるだけの事をしましょう、という当たり前の話に終始してしまいましたね。

 ただ逆に教える立場からすると、私が「これセッティング教えたら誰でも出来るよね」って詳細に教えても、実はそのとおりに撮るのって難しいんですよね。ほぼ撮れません。

 例えば冒頭の社員さんがまったく同じセッティングで撮ってみたところで同じ写真になるわけじゃないし、構図がきれいに取れるかどうかとか、細かいところまで気遣ってきちんと説明責任を果たした写真が撮れるかどうかっていうと、かなり難易度が高いわけですよ。

 そしてクライアント側に最低限の目があれば「これ、似ているけどダメだよね」って分かる筈なんです。

 安い仕事ほどクライアントさんの目も肥えていないのでなかなか難しくはあるんですが、ちゃんとした写真かどうか、気づくかどうかは結局撮る側の目で判断されるものなので、やっぱり撮る側だけでなく、写真を見る側全体のレベル向上に寄与していかないとなーなんていう風に思うんでありました。

 というわけで、私に何が出来るかはよく分からないですが、写真を撮る側の人達に教えていてすら、日本人は見るのが苦手なんだなとつくづく思わされるくらいですから、何かしら皆さんの写真を見る目が肥えるような活動は継続していかないといけないな、と思うのでありました。

 というわけでまた。