写真の責任

 おはようございます。なんだか最近ブログを書く癖がついてきているようです。ふと時間が空いた時に、その作業を思い出すかどうかの問題なんですけどね。私ムラがすごいので、コンスタントに継続出来る方って凄いなと思います。

 写真を撮っていても、あれを撮ったりこれを撮ったりと、必ずしも一つのジャンル、一つの被写体を撮り続けるわけではないところが、飽きっぽい私が写真を継続できている理由の一つだと思います。

 撮る事そのものに飽きてきたら、撮る機材、撮る環境をがらっと変えてみると気分転換になって良いですしね。

本題です

 さて、今日の話題は写真のセレクト……にかぎらず写真に対しての責任のお話です。

 要約すると「そうなっちゃったんだもん! は通用しないんですが、代わりにお得な部分もあるよ」っていう話。

 今朝、撮影会のモデルさんの写真がTwitterのタイムラインに流れてきまして、体のラインのきれいなモデルさんなんですよ。でもTwitterなので撮影した人は皆さんだいたい4枚ずつアップされるでしょ。するとそのモデルさん、色んな方が撮られた写真を遡って見てみても、4枚に1枚以上は必ず意識が途切れた感じの写真が入っておるんですわ。ポージングがキレキレで体もすごくきれいなのに、表情が追いついていない感じ。要は残念な写真です。

 これね、モデルさんの技能の問題でもあるんですが、そういう問題点を指摘するような写真のセレクトになってしまっているのは撮る側の失敗なんです。つまりモデルさんが良く見えないとしたらカメラマンが悪いんです。悪く見せようとしてのセレクトでないとすれば、の話なんですけどね。

 だってアホみたいに単純に考えてみると、写真を撮ってきたぜ! つって人に見せるなら、撮影会だろうが風景だろうが、『被写体 = ステキでしょ』ってポジティブに見せたいですよね、普通。

 被写体がステキに見えないとしたら、少なくともある程度は撮影側の責任になっちゃうんですよ。特に女性が被写体の場合は非常にめんどくさいので、今日の話は覚えておいて損はないですよ。

撮る側の責任

 撮る前、シャッターボタンを押す前、色んな事が起きますよね。

 モデルさんの資質がどうか、モデルさんの当日のコンディションがどうか、撮影場所が……撮影機材が……あーだこーだと問題は山積みです。
 むしろ、あらゆるものがあなたの撮影の邪魔をしてきます。プラスの事が勝手に起きて撮影が勝手にアメイジングでファビュラスになるなんていうことは、まずありません。

 で、撮影。シャッターを切りました。
 そこからセレクト、後処理。人によって後処理セレクト後処理。

 最終的にセレクトした何枚かがようやく他人の目に触れるわけです。
 さて、その他人の目に触れるよう発表された写真の責任の所在は? って考えると、実は写真に写っているもの、被写体のありよう、見え方について、ほとんどが撮った人間の責任になってしまうんですよ。

 つまり良く見せようとしている筈の写真で被写体が良く見えないとしたら、撮ったお前が悪いと言われてしまいます。これは私個人がそう言っているわけではなく、このブログを読んでいる方も他人の写真を見た時、そう判断する筈です。

能動的に責任を取りに行く

 一番違いが出るのは撮影現場での選択でしょう。

 これは人によってどれだけの権限が与えられているかに違いがあるので一概にはいえないですが、たとえば人物写真って、撮る側がお客さん気分で被写体と接しているか、当事者感覚を持って「一緒に良いものを作ろうね! わっしょいわっしょい!」と仲間として巻き込んで行けるかで撮れる写真が全然違ってきます。

 それらの違いって、結局撮影結果に対して責任を負うつもりでいるかどうかなんですよ。
 逆にいえば、これから撮るものではあるんだけど撮影結果として定着された写真の毀も誉も自分の名前にくっついてくるんだから、だったら手抜きは出来ないよねという感覚です。

 モデルさんの写真を撮る場合は、その写真いかんによってモデルさんの仕事が増えたり減ったりする可能性もありますから、他人の分の責任まで勝手に負わされちゃいます。だから遡って撮影時点からそういう意識で現場を動かしていかないといけないんです。

 撮影時点でそこまで頭を回して撮るかどうか。この辺りがひょっとするとプロとアマの最大の違いかもしれません。たとえば広告用の商品の写真を撮る場合、写真の出来いかんによって売り上げが違ってしまいますから、商業撮影の場合は必ずそこを求められます。

 アマチュアであっても、いま自分が撮っている写真に対してどういう責任が発生するのか、って考えると明らかに違ってきますよ。

問題は撮るかどうかじゃない

 ロケで撮っていて、モデルさんの後ろを知らないおっさんが通ってしまって写り込んだ。

 そのおっさん、悪くないですよね。モデルも悪くない。撮っちゃったあなたも、撮った時点では悪くないんです。でも、それをそのまま発表すると……? 撮ったあなたが悪いことになっちゃうんです。

 モデルさんが気を抜いて不細工な顔をしている瞬間を撮った写真もそう。
 撮った時点では誰も悪くないんです。モデルさんがプロの場合は責任の一端はありますけどね。気を抜いているんじゃない! ってモデルさんを叱っても良いかもしれません。ただその不細工な瞬間を写真に定着して、それを発表すると……? そう、撮った人が悪いんです。

 これネガティブに考えると、責任ばっかり負わされてたまんねーよになるかもしれません。

 でもね、写真の著作権って、細かいあれこれはあるんですが基本的に撮った人の総取りなんですよ。
 被写体、背景なんかの素材サイドの権利ってものすごく限られているんだけど、それを写真として二次元に定着した時点で、写真についての権利も責任もすべて撮った人間のものになります。

 ポジティブに考えれば、撮った俺がすごい! 被写体がどうあれ背景がどうあれ偶然が起こったにせよ自分の力でににせよ、とにかく撮った俺がすごい! っていう事で、だからそこに権利が認められているので、表裏一体の関係です。

ここから派生する問題と解決策

 これ『被写体さんが勝手にレタッチしちゃうんだけど問題』にもつながってきます。

 写真って、基本的に撮った人が権利を保有しているので、「勝手に改変するな」って止める権利も保持しています。だから撮った人以外がレタッチしたりトリミングしたり合成したりの改変はNG。コスプレ写真界隈ではこの辺がグズグズになっておりますね。

 あの業界はどうやら日本社会のきれいな縮図になっているようで、撮る側の技能(=責任、権利)というのが非常に軽視されていて、写真は被写体側の所有物であるという考え方が定着しているようなんです。

 それの是非はともかく、それって今日の話に通じる、責任の所在が明確に認識されていないから起きている問題なんですよね。

 少なくとも私が認識する限りにおいて、撮影時点~発表するまで、被写体を含め何がどう写真に写っているかの責任は撮る人が負います。著作権は撮った瞬間に発生しているそうですが、実際の社会で責任が問われるのはいつか考えてみると、それって「発表して人目に触れたから」ですよね。

 遡って考えてみると、どれだけ酷いショットを撮ったとしても、それを発表しなければ責任は問われないんですよ。つまりセレクトが大事、ということ。

単に自分の見せたいものを選ぶのがセレクトではない

 けっこう回りくどい書き方をしてきましたけど、写真のセレクトって単に自分が見せたいものを見せるために選ぶんじゃないんですよ。

 仕事であれば自分がセレクトしない場合もありますが、本来でいえば撮る前から「何を写し、なにを写さないか。どのショットを選ぶか」の基準に、撮る人のエゴだけではなく撮られた人、撮らせた人、見た人の利害が関わっているということを認識するのが大事です。

 別に趣味だったら好きに撮ってモデルの子が不細工な瞬間でもおっぱいがきれいな角度だからいいやバーンってセレクトしてTwitterで発表しちゃうのも良いでしょう。撮影会の場合はおそらくそこまで権利として付与されていると思います。

 でも、より人に認められたい、自分が撮る写真で人と幸せになりたいと欠片でも思うのであれば、上記のようにセレクトにも責任があるんだよ、というのを知っておいて損はないと思います。

 あと、必殺技として「発表しない」っていうのもありますからね。

 私も作品撮りで「どうしようもねえな」ってなったらお蔵入りにします。貧乏性って写真を見せる上では良くないんですよ。一定のクオリティーを保とうと思ったら発表しないというオプションを行使することも大事ですし、モデルさんが不細工な瞬間も、撮っちゃったとしても発表しなければなかった事になりますから。

 それではまた!