作品とか疲れるのよね

 こんにちは。今日は月曜なんですが、私はカレンダーと連動した暮らしをしておらんものですから、偶然休みでした。しかも思い切り何もしない! と決めて一日こたつに入っていただけ。

 こういう風に写真と離れた日もないと嫌になっちゃうというか、意識しないうちに頭が疲れているんですよね。写真を撮る事そのものは常に好きなんですが、写真といっても色んなアプローチ、色んな作業があるので、必ずしもずっと写真と接しているから楽しいというわけでもありません。

 たとえば、インターネットを通じてあらゆる写真を見ることができるようになりましたが、正直もうあらゆる写真を見てしまえるので、新鮮な驚きってないんですよね。自分でもある程度は撮れるし、何をやっているかは分かることがほとんどなので、「あーなるほどね」といった程度のものです。

 また被写体サイドの問題については、「そりゃ美形だから美形に写るよね」「絶景を撮れば絶景じゃん」といった風に冷めた目で見てしまいがち。美形をつかまえてきて被写体になってもらったり、絶景を良いタイミングでとらえる努力や運って凄いんですが、写真として提示されると「またか」っていう気分になってしまうのもまた事実です。

 インターネット上ではいろんな写真作家の写真も見ることができて、作家っていうくらいなのでほとんどの場合は作風がかっちり決まっていたりします。たとえばTwitterなんかで頻繁に目にするし分かりやすいのでよく例に挙げさせてもらうんですが、イルコさんとかHASEOさんは一発で絵が頭に浮かびますよね。

 ただ自分が職業カメラマンの領域を離れて、写真家として一つの表現、一つのテイストを追求したいか? って考えると、全然そんなことはないんですよ。

 写真作家として写真を売ろうと思うと(これは私がやっているような単純な商行為としてではなく、アーティストとしての出世街道を歩もうと思うと/アーティストとしてアート市場と結託して商売をしようと思うと)、明確なテーマを提示して、明らかに他者と区別されたものでないと意味がありません。

 よく音楽のジャンル分けって意味ないじゃん、という意見を目にしますが、それこそWEBストアで見つけてもらうためには、ヒップホップはヒップホップ、メタルはメタルと類別してタグ付けしておかなければならんでしょ。それと同じように、その作家がその作家であると強烈に識別される個性を提示しないと売り物にはなりません。

 ところがこれ、自分でやりたいとは思わないんですよね。

 文字を書くことで人に何かを提示したい、一定のアイディアを人に伝えて、ある意味世の中を動かしてみたいんだよね、という気持ちはちょっとあるんですが、写真で世の中を動かしたいんだ! とか、自分に写真作品でどうしても伝えたい美意識であるとか概念であるとか、そういうものがあるかっていうと、全然ないんですよ。若い頃はそれでずいぶん悩んだもんですが、最近は吹っ切れちゃいました。そういう付き合い方もあるよね、という感じ。

 そういう意味で、私は常に「仕事はプロのカメラマンなんだけど気持ちはアマチュア写真愛好家」というポジションでやっています。調理師なんだけど料理が好きでしょうがない。でも仕事を離れたら「美味いもんを作るだけが楽しい。店の経営にはタッチしたくない」みたいな感じ。

 社会人としては別に自分の食うぶんを稼いでいるわけで問題ないんですが、アーティストとしては欠けているわけですよ。そもそも他人に自分の内臓を引きちぎって投げつけるような、そういうパッションがないと本来はアートって成立しないでしょ。傲慢であり同時に破滅的。私はまったくもって穏健です。


 たぶんこのブログを読んでくださっている方は趣味で写真を撮っている方がほとんどだと思います。

 なんかこう私もアツく写真論を語っちゃうタイプなので、息苦しさを感じさせているかもしれないなぁなんて思ったりするんですよ。写真論というより写真の技術論ですね。

「こうでなければならない!」というような押し付けはしないようにしているんですが、なんというかものすごく写真に対して努力しなければいけない、そうでない場合は負い目というか引け目を感じさせてしまうかもしれないなぁという懸念があるんです。

 ところが私自身も、写真表現という意味合いにおいては別に作品らしく作品を撮らなくても楽しければ良いじゃーん、純粋に撮るのを楽しめば良いじゃんっていう人間なんですよ。

 むしろ自分の出世のために写真を利用するような「私はギターが好きなんじゃなくって、私の音楽表現のためにギターが必要だっただけなんです」みたいな輩には蹴りを入れたくなるような人間なんです。
 これってどちらが正しいというのはないんだけど、ある意味では目的のために手段を選ばない人間の方が「正しい」という気もしますよね。技術論に走りがちな私はアート全般でいう「作品を作る」という目的は度外視してしまっていますから。つまり手段そのものを目的化してしまっているんですね。

 手段と目的、大人になるとこの二つを小ずるく入れ替えてだましだまし人生や仕事をやっつけようとするようになりますが、写真が趣味なら全然やっちゃってOKでしょうし、私も趣味領域においては本当に自由奔放にやらせてもらっています。

 なので、皆さんも肩の力を抜いて、撮りたいときはガンガン撮る! でも疲れたら休めば良いっすよ。

 人生にはほかにもたくさん面白いことがありますわ。色んなところに目を向けるのが大事だし、むしろアートに人生をささげている人っていうのは、他のことにわき目もふらず人生を投げ捨てるような「聖」の部分があるから尊敬され得ると思うんです。別にそんな人生を送る人が沢山いる必要はありません。

 のんびりやりましょう。

なんとなく意味ありげな写真。ただ撮るだけで楽しいんですよね