自由なYoutubeと縛られたメディアの話

 こんばんは。
 思いつく事があるとあまりの手軽さからTwitterに書き込んじゃうんですが、真面目なことをTwitterに書き込んでもしょうがないですね。しょうがないっていうとアレですが、あれは友だちとの交流の場ですわ。



 最近本当によく思うんでありますが、Youtubeっていう場で、Youtuberっていう稼ぎ方が一般的になりましたよね。

 Youtuberという稼ぎ方を、自分も小規模ながらYoutubeチャンネルを運営しながら「はーなるほど」と横目で観察してみて思うのは、あれって芸能人の広告での稼ぎ方と同じなんですよね。お金の流れがスポンサー企業→代理店→事務所→芸能人となっていたのが、最後の部分だけYoutuberに変わりました。

 やっているYoutuber自身も、テレビに出る芸能人枠に潜り込むよりYoutubeのほうが手っ取り早いから、とYoutuberになり、ゆくゆくはテレビに出たいんでしょうか、それともテレビ的である事が是であるというのを疑う機会がなかったのでしょうか、テレビ的な手法を多用して懸命に見ている人の気を引こうとします。


 懸命に気を引くのは、つまり見てもらうことにインセンティブが働くから。

 見られる → 儲かる。

 それ自体を否定しようというのではありません。システム上認められていますし、そこでお金が動くことが、スポンサー側まで遡って経済を動かしているので「良いこと」なんです。

 ただ、目を引くところに傾注するあまり、せっかくYoutubeなんていう極端に民主主義的なシステムに乗っかっていながら、それを無駄使いしているような気もしないではありません。



 たとえば中国ってYoutubeダメですよね。
 好きな時に、好きな形で好きなことが言えるっていう権利をプラットフォームが(もちそんその根本には国家の体制が)許しているって物凄いことです。

 Youtubeで動画をアップしはじめて以来、民主主義すげえなあ、という感覚がより強くなっています。だって凄いじゃないですか! 歴史を見ても、支配者がそんなこと許すわけありません。国民主権だからこそこんなオープンなサービスがあり得るんです。

 そして、そのYoutubeの肝の部分って、テレビなどの一つ前の世代のメディアと違って、編集権が個人に付与されているところですよね。

 つまり、既得権者が実質的に「いない」んです。本当に個人の責任で好きな事を、好きなタイミングで、好きな形式で、好きな長さで表明できる。そしてその個人の意見の表明を見るも見ないもあなたの自由。そこが素晴らしい。

 それって言いかえると「権利を持った人間が自分以外に関わらないからこそ確保された自由の素晴らしさ」ですよね? そこにスポンサーを絡めちゃうのって私からすると自ら窮屈になりに行っているようにしか見えないんです。



 自由の極致みたいなYoutubeを使っているのに、お金の流れを旧来のシステムから引き継いで稼ぐのって、わたし個人としてはあんまり面白そうに見えないんですよ。Youtubeはありがたいことに広告を動画にくっつけて、そこで視聴回数によって得られた収入を分配してくれていますが、スポンサーと動画の作成者は紐付いていないもんですから、全然気にする必要がありません。

 スポンサーの顔色を伺ったり、各種既得権を持った人がぶら下がっていたりしてその人たちの顔色をうかがうのって、人間的にあまり向いていないもんですから、今後も避け続けようと思っています。

 それはなんでかといえば、Youtubeっていうプラットフォームはマスメディアと違って、個人と個人の繋がりが強いメディアだからです。
 間にテレビ局が入っていたり代理店が入っていたりしないでしょ。自分で撮影機材を買うところから編集、はてはわけの分からんクレーマーの対応まで、一人で全部やらなきゃならなくて面倒なんですが、代わりに見ている人とやっている人の距離が極端に近いメディアなんです。

 そこを活かして、自分がより好きな事を言えるように場を維持し、だからこそ信頼されるっていう形を築いていった方が社会の中で新しいコミュニケーションの形を模索できて面白いんじゃないの、と思います。



 だってステマしかり、人前に出ている人が勧めているモノが、本当に良いと思って勧められているモノなののか、実は疑った方が良い場合がほとんどなんですよ。とくに日本は例えばジャズの雑誌に国内ジャズミュージシャンの辛め評論を載せると直接電話がかかってきたり、レコード会社から「広告止めるよ」って脅されたりする国ですよ。

 それって裏を返すと、広告が出ている限り、その雑誌に100%正直な評論は載らないわけです。
 ロックバンドでも辛め批評を掲載したら暴力で報復という事例が過去にありました。私自身、音楽に対する評論というものをもともと全く信じていなかったのでどうでも良いといえばどうでも良いのですが、いわゆる「メディア」の人々の意識がそんなものなので、世の中で売られている情報には色が着いていると、賢い人はすでに知っています。

 つまり批評がなりたたない、ジャーナリズム的な立場でモノや芸事を扱うのが成立しづらいんですよね。

 逆にそういう国だからこそ、既得権を極力配して信頼を勝ち得るというのが面白そうだし、それを担保する素晴らしいプラットフォームがあるのだから、今後はよりそれを活かして面白いことをやっていきたいなと、そういう風に思うんであります。


 というわけで、今日の写真はヤシコンのVario-Sonnar 3.5-4.5/28-70で撮影した港の夜景でした。