SNS写真の出口

 どうもこんばんは。ウラジオストク自主出張中の伴であります。旅路で感じたあれこれはまた別のポストに写真と一緒にまとめようと思っておりますが、今日はSNS界隈で写真を見ていて最近思うことをつらつらと認めようと思います。

11月頭なのにけっこう寒いです。

 SNS写真、毎日大量に見ますよね。わたしTwitterは面倒なアンチくんたち対策のために鍵垢にしてしまいましたが、もともとTwitterで社会に対して訴えかけたいィィィ! みたいな気持ちがないので、Twitterは好きなことを発信し、気に入らないことを「気に入らない」と直言する場として設定しておりました。あれは脳内から垂れ流している独り言に過ぎません。

 まあそうすると、そもそも話の対象にすらなっていない人がわいてきて様々な嫌がらせを開始するんでありまして、私の場合お相手する人はこちらで選ぶのが方針ですから、まあじゃあ鍵垢にしても問題ないよねと。

 普通は自分のやっていることを広めて広めてプリーズプリーズ、というのが当たり前ですから、そういった自分の思想を広めるための場としてのTwitterを潰されてしまうのは辛いものなのかもしれず、もちろんアンチくんたちはそこを狙って攻撃を仕掛けて来るのでありますが、わたくしSNSについては発展志向でありませんので「ああめんどくさいのがおったらゲート閉じればええやん」というだけの話であります。

 なんでしょう、商売上誰にでもニコニコ優くしている必要がある人を利用して、気に入らないことをボコスカ投げつけてサンドバッグにしたいという完全に頭がおかしい輩も世の中にはいるんでありますが、私はその相手をする必要があると思いませんから、分かる人とだけ仲良くできれば良いと思っています。

 それはもちろん現在仲良くしてもらっている人に限らず、動画やなんかで「分かる・・・わかるよ・・・!」と思ってくれている方も含みますからね。そういう方といつかお会い出来るのを楽しみにしとります。

 めちゃくちゃ余談でしたね。

Twitterで見る写真の傾向


 最近、別途アート界隈のことについて考えておりまして、おかげで写真を誰のために撮るかというのを考えざるを得ず、そういった視点で眺めてみますと、Twitterで見る写真って、写真を撮る人向けの写真になってしまいませんか?

 私の場合、SNSは独り言垂れ流しなので写真も同じなんですが、「作品です!(キリッ!」って写真を流している方が、対象を撮る側に設定している例がたいへん多く見受けられて、これは変わった現象だし、同時に日本のアマチュア写真界隈の分析に役立つかもしれないなあと思ったんであります。

 Twitterでの写真あれこれが、どうしても見る側の視点不在で、「撮るひとがこんなん撮ってみたいと思った写真を狙って撮りがち」になるのは、もともと日本には写真プリントの市場がほとんどないなど、写真を売る立場というのがなかなか理解されにくいことが原因として大きいと思うのですが、因果関係としてどちらなのか正直良く分かりません。

 つまり、ばらして考えるとこうだと思うんです。

  • 写真を撮る人
  • 写真を買う人

 このふたつのグループ、意外と別ですよね?

 写真の売買が盛んな欧米では(写真を撮らせることもプリントの売買も含め)写真を買う人の数が多く、動いている金額も大きいんでありますが、日本にはあんまりいませんよね。

 しかし、写真を撮る人って写真のあれこれに勉強する課程で詳しくなっていくので、ふつう「ああ俺もこの写真の良さが理解できるようになっちゃったから、好きになった作家さんの写真を買おう」ってなる筈なんですよ。

 ところがならない。

 日本はアマチュア写真家の数がすごく多いと思いますが、アート写真志向ではなく、実は商業写真的な志向が強い人がほとんどなんではと思うんです。何のデータもないのでただの感覚ですけどね。

 通常の商業写真であればクライアントや、そのクライアントが抱えていたりこれから抱えたいなと思っているクライアント想定客が対象になるので、まあそこに向けて撮ることになるのですが、どうもTwitterを見ていると外っつらはグラビア写真的だったりと雑誌に載っているような写真をなぞっている風なんだけど撮り方がお客さん向けになっていないものをたくさん見ます。

 では一体、彼らは誰に向かって写真を撮っているのか? と考えると、写真を撮る人たちのなかでネットワークを作り、そこで名誉を得ることを目指しているらしい、というのが観察の結果分かってきました。

 撮影会界隈が一番エッセンスの凝縮されたような場なので分かりやすいのですが、撮影会に参加する人が、世間一般で評価されたいと思っているかというと、あんまりそういう感じはしませんよね。であればもうちょっと感性として開かれた撮り方になるはずです。

 実際は撮影会に参加する同士で「やるねえ」という評価を求めがちなようですし、もっといえば撮影会の被写体さんに褒められた! というのをプロフィール欄に掲げている方もいらっしゃるくらいですから、そのあたりの評価も大きいのでしょう。

 これはにわとりが先か卵が先かという問題と一緒で、見せる方向が偏っているから撮り方が偏るのか、撮る感性が偏っているから鑑賞する人が限られるのかは分かりませんが、何はともあれ撮影会で撮られた写真を一般の人間が見ても(おねえさんが写っている以外にどんな意味があるのか)理解できないのが当然ですし、理解されようとすら思っていないように見受けられます。

 ですから、撮影会に限らずポトレ系の写真展というのを見かけることがありますが、そこにはどうしても身内が集まり、小劇場の劇団のように身内の間での褒め合いがないと場が成立しません。

 それが悪いというのではなく、私が言いたいのはそういった感性が一般に受け入れられない原因になっているのでは? ということです。

 もし一般に受け入れられたいの「であれば」ですが、そもそも撮る人に見せることを想定して撮るのをやめれば良いじゃん、という風に思うんであります。こんな撮影をしてみたい、という軸ではなく、自分が表現者としてまだ見ぬ、下手をすると写真に興味がない人に対してメッセージを投げかけるつもりで。

 もちろんお年寄りの写真クラブでやるような発表会がやりたいというのであれば、それは撮る同士のコミュニケーションがメインになるでしょうから全然問題はありません。楽しいのも大事です。私も一門を構えている身なので、いつか発表会を主催する日が来るかもしれません。

 ただ、写真を見るだけの人からすれば「写真展」は「写真展」ですから、自分たちに向けられたものなのかそうでないのかは、外見から区別がつきませんよね。それもまた写真を分かりづらくてお金を払ってまで手に入れにくいものにしているのではと思います。

 私の場合、仕事が撮る人のためではなく、一次的には写真を使って商売をする人のために撮ることですから、そのあたり誰を対象に撮っているのかというのは常に気になっているところでありまして、SNSとくにTwitterで見かける写真は撮る人同士のどつきあいメインになっちゃうもんな~というのが気になった次第であります。

 もちろんそれを意識してやっている分には全然良いと思うんですが、そもそも他人の写真どころか自分の写真もきちんと見ないで撮り散らかす人というのが圧倒的に多いもんですから、そのあたりから日本のアマチュア写真世界をどうにしかせんとな、と勝手に思っていたりします。

 むしろインスタで人気がある人達の方が、いわゆる写真家活動をしている人に限らず一般の写真を見たい人に向けてやっているので親切なんですよね。偏り方は人それぞれですが、見る人のことを意識して写真を投げているのか投げていないのかはひと目で分かりますよね。

 私もスナップの方のアカウントは「撮ったよー」というのを撮る人向けにやっているので投げっぱなしですが、スタジオの方のアカウントは「これじゃいかん」と見る人向けにやって……いや出来ていないなあw という感じ。難しいですよね。わたし自身の課題でもあります。

 これは仕事を離れると逆に何をしたら良いか分からなくなる、日曜日のお父さんがスーツを脱いたら何を来て良いか分からない問題に通じるところがあると思います。

最近は


 最近はオンラインサロンという独自の船を漕ぎ出したこともあり、Youtubeで広~く訴えかけていても、アイディアを正面から受け取れない人がアンチに転じて嫌がらせを講じてきたりというのを体験して、ああ広く訴えかけるのにコアなことをやってもあんまり意味はないな、という気持ちにどうしてもなってしまいまして、ワークショップの定期開催を経て、より閉じた場に移行して活動しております。

 ただ濃い話をする場で、かつ皆さんに気軽に来てもらえる場というのも必要だなと思っていますので、このブログで今後もこういうお話ができればと思っています。

 それではまた。

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